パソコン教室@古くても大切なパソコン
2015年初の記事です(;´∀`)
今年もごゆるりとおつきあいくださいませ♪
さて、本日はとても懐かしいWindowsとの出会いです。
数年前に長い間通ってくださった方から連絡があり
「習いたいって人がいるんだけど、お話してもらえないだろうか?」
ってことで、打ち合わせへ。
お話を一時間ほど伺い、
その後、その方のお家へ出向き、
納戸にしまってあったパソコンを出してきてくださった。
WindowsMEだよ。このOSで資格に挑戦したなぁ。懐かしい。
空けたらこんな感じ。
こんなタイプのパソコンは初めて見ました。
発売当時にしては、ハイカラでテレビも見れたそうな。
この持ち主の方は、10年前に故人となっています。
「ずっと納戸にあったんです。」
・・・・・・・・形見じゃないですか(涙)
「インターネットはされませんね?しばらくは。」
「ハイ。しません。」
「このパソコンはインターネットにはつなげませんが、
簡単なお手紙を書くぐらいなら、まだ使えます。
ちょっとのんびりですが、これで練習しませんか?」
形見のパソコンに会うのは、これで三台目。
連れ合いを亡くし、何も手につかず、
でも、何か始めようと、それをパソコンにした人に出会ったのは四人目。
「でも、おぼえられないとおもうけど」 なんて不安気。
「大丈夫ですよ。覚えなくても。
記憶がなくても、記録がありますから。
ちょびパソは、その時のレッスンを記録して
すべてお渡ししますから、安心して忘れてください。」
そして、この打ち合わせには不思議な縁を感じる。
遠くにいるお子さんが、その方の近くのパソコン教室として
「山口って人が近くにいるらしいよ」って言ってくれたらしい。
連れ合いを亡くす辛さを私はまだ経験していない。
そして、それを消化するまでのプロセスは生徒さんを通じてみてきたけど
私には想像できないほどのいろいろな気持ちの葛藤があったことと思う。
ただ、その先立った人が直前まで使っていたであろう
そのパソコンは、間違いなく起動し、
当たり前のようにデスクトップ画面を表示した。
さて、このパソコンにつなげられるプリンターを探すのが大変だ。
さて、どうしようか。
いや、でも、私が探さないとね。
サイトを探してくれた、その方のお子さんに感謝。
そして、起動してくれた、形見のパソコンに感謝。
故人が文書を作って印刷していたように、
今度は遺された人が同じようにそのパソコンつかう。
故人が触っていたキーボードを
10年以上たって遺されたものが触る。
なんか不思議だね。
大切に、大切に、焦らず、焦らず、
ゆっくりとゆっくりと、
自分の時間の流れの中で
その事を感じてくれたらいいなぁ。





